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福岡高等裁判所 昭和58年(う)793号 判決 1985年12月25日

主文

本件各控訴をいずれも棄却する。

当審における訴訟費用中、証人松尾信夫に支給した分は被告人齋藤半五郎の、証人和田清に支給した分は被告人山川良彦の各負担とし、証人丸尾清太郎に支給した分はその二分の一ずつを各被告人の負担とする。

理由

本件各控訴の趣意は、被告人齋藤半五郎(以下「被告人齋藤」という。)の主任弁護人吉原淳治、弁護人加藤達夫がいずれも連名で差し出した控訴趣意書及び控訴趣意補充書並びに被告人山川良彦(以下「被告人山川」という。)の弁護人加藤達夫が差し出した控訴趣意書及び控訴趣意補充書にそれぞれ記載されているとおりであるから、これらを引用する。

被告人山川関係の控訴趣意第一中原判示第二の一の事実に関する事実誤認の主張について

所論は、要するに、その判示のような金員授受の事実は全く存在しなかつたのであるから、原判決が、いずれも任意性も信用性もない被告人山川の検察官に対する昭和五五年七月二二日付((二)、(三)、(四)供述調書三通、長岡幸子の検察官に対する同月三〇日付供述調書及び長岡尚〓の検察官に対する同月三〇日付、同年八月一日付(<1>及び<2>)各供述調書を証拠として採用し、その判示第二の一の事実を認定したのは、証拠の価値判断及び取捨選択を誤つて、事実を誤認したものであり、その誤認は判決に影響を及ぼすことが明らかである、というのである。

しかし、被告人山川、長岡幸子及び長岡尚〓の検察官に対する右各供述調書は、いずれも、任意性も信用性もあるものであり、これらの各調書を含む原判決の挙示する関係各証拠によると、原判示第二の一の事実を認めるに十分であつて、記録を精査し、当審における事実取調べの結果を検討しても、原判決の右事実の認定に誤りがあることを疑わせる証跡はない。

まず、所論指摘の各供述調書の任意性及び信用性についてみるに、原審第一二回公判調書中の証人松島道博の供述部分及び原裁判所の同証人に対する尋問調書、原審第一六回公判調書中の証人門西栄一の供述部分、原審第一八回公判調書中の証人橋本豪夫の供述部分及び同証人の原審公判廷における供述によると、司法警察員及び検察官は、被告人山川が糖尿病の治療を受けるため福岡市内の病院に入院中、その病室内で、原判示第二の一、二、三関係の一連の事実について同被告人の取調べをしたが、昭和五五年七月一一日になされた司法警察員による取調べの際、捜査官側には、原判示第二の一の二〇万円供与の事実は明らかになつておらず、司法警察員が、被告人山川に対し、同被告人から被告人齊藤への五万円供与の事実について取り調べをし、その金員の出所を追及したところ、被告人山川が、長岡尚〓(原審相被告人)から昭和五五年六月一二日ころ二〇万円の供与を受けた旨供述したこと、司法警察員が、右長岡尚〓を、右の事実について取り調べた(その情況については後に述べる。)ところ、同人から、被告人山川に対して二〇万円を供与した旨及びその年月日は同月八日である旨の供述が得られ、再び被告人山川に対し、右年月日の点を確認したところ、同被告人から、右二〇万円の供与を受けた日は同月八日であるという訂正の供述があつたこと、検察官による取調べは、同年七月二一日、二二日の両日になされたが、そのころ同被告人の病状は、微熱はあつたものの、重労働や深夜労働を除いて、通常の労働は可能で、取調べも差し支えなく、勾留にも耐えられる情況であり、取調べに当つては、ベッドの上に、あぐらをかいて座つたり横になつたりという無理のない姿勢を取つて(司法警察員の取調べ情況も同様であつた)おり、検察官は、被告人山川の右身体情況や、取調べ場所が病室内であることを考慮して、同年七月二一日に、黙秘権を告げ、(原審第一〇回公判調書中の同被告人の検察官から黙秘権を告げられていない旨の供述部分は信用できない。)事情を聴き終えた後、同被告人に対し、翌日同被告人の面前で調書化する方法と、別の場所で調書にして翌日読み聞けをする方法とを示して、同被告人の望んだ後者の方法によることにし、翌日午前中役宿中のホテル内で、同被告人の検察官に対する同月二二日付(一)、(二)、(三)の三通の各供述調書を記載し、同日午後前記病室において、同被告人に対し右三通の調書の読み聞けをして、同各供述調書を作成し、別に同日午後同被告人の面前で、同被告人の検察官に対する同日付(四)、(五)の二通の各供述調書を作成したこと、被告人山川が入院していた病室は個室であり、検察官の同被告人に対する取調べや読み聞けは、普通の声量で、別室の患者には聞こえないような配慮のもとになされ、検察官と同被告人との間で、原判示第三の一の事実(原審相被告人渋村武敏関係の犯罪事実)に関する取調べの際に、多少の押し問答があつたほかには、押し問答など厳しい追及はされなかつたこと、前記長岡尚〓の取調べ情況については、同人は、被告人山川が前記のとおり二〇万円の受供与を自供した後の同年七月一六日ころ、司法警察員の取調べを受け、被告人山川に対する二〇万円供与の事実を認めたが、その年月日については、被告人山川の供述とは異なつて同年六月八日であつた旨を述べ、被告人山川も、再度の取調べで、右受供与の日を六月八日と訂正するに至つたものであり、更に右二〇万円の出所を追及されて、自己の妻長岡幸子から受け取つた旨述べ、その金員の出所についての供述内容に疑念を持つた司法警察員からの重ねての追及に対しても、一貫して同旨の供述をし、しかも、右二〇万円を自動車運転席の日よけの内側から取り出して来たなど、それをした本人でなければ分からないような事実を述べ、検察官に対しても、被告人山川に対する二〇万円供与の事実を進んで供述し、供与の年月日、供与金の出所についても一貫した供述をしていること(原審第一一回、第一二回各公判調書中の前記長岡尚〓の供述部分のうち、警察での取調べでは、山川がもらつたと言いよるから、それに合わせろ、検察官にも同じことを言わんといつまでも出られないぞと言われ、被告人山川に対する供与の事実はないという弁解を聞いてもらえず、検察官による取調べでも、四日間ほど否認を続けたが、早く合わせよと言われて、やむなく認める内容の供述をしたという趣旨の部分は、前掲各証拠に照らして信用できない。)が認められ、右各事実によると、被告人山川及び右長岡尚〓の検察官に対する前記供述調書にはいずれも任意性があるものと認めるのが相当であり(被告人山川の検察官に対する右各供述調書の浄書が同被告人の面前でなされなかつたからといつて、その作成手続に違法性があるとすることはできず、またその信用性に疑問が生じるということもできない。)、長岡幸子の検察官に対する前記供述調書についても、前掲各証拠及び原審第一八回公判調書中の証人長岡幸子の供述部分によると同人の取調べ情況に特段無理な取調べのあつたことをうかがわせるものはなく、その任意性を認めることができ、被告人山川が病床で取調べを受け、前記長岡尚〓が逮捕勾留されて相当期間多少追及的な取調べを受けたにせよ、関係証拠上明らかな、被告人山川及び右長岡尚〓の年齢、経歴、社会的地位に照らして右両名が、それぞれ自己及び相手方の社会的信用を落とし、殊に被告人山川の石田町町議会議員としての地位を失うに至る事柄について、自己及び相手方の不利になるような虚偽の供述をしたとは考えられず、右両名の検察官に対する前記各供述調書は、両名が松田九郎を支持するようになつたいきさつ、選挙運動の情況、二〇万円授受の事実及びその趣旨を含め、その一部始終を供述しているものであり、その供述内容は、それぞれの体験した事実の具体的かつ詳細な供述として別段不自然、不合理な点も見出せず、基本的な点において相互に一致しており、その信用性を認めるに十分であり、長岡幸子が、長岡尚〓の妻として、長岡尚〓の社会的信用を失うに至る事柄について、同人の不利になるような虚偽の供述をしたということも考えられず、長岡幸子の検察官に対する前記供述調書の内容は前記二〇万円の出所に関して、長岡尚〓の供述とも一致しており、その信用性を認めることができる。なお、原審公判調書中右長岡尚〓の供述部分の中には、同人が、前記二〇万円の出所を追及されて、現実にはないことなので金の出所がなくて困つていると、警察官から「嫁さん」(同人の妻長岡幸子)から出たことにするのがいいと言われ、警察官から長岡幸子に対し、その旨話を合わせるように電話され、弁護士とも相談して、その旨の虚偽の供述をしたという部分があり、原審第一八回公判調書中の証人長岡幸子の供述部分中にも、警察官から、長岡尚〓に二〇万円渡した旨供述するように電話で言われて、そうすれば長岡尚〓が出られると思つて、そのように虚偽の供述をし、検察官にも、そうする以外に、夫の長岡尚〓が出られないと思つて、同じように嘘の供述をしたという部分があるが、前記のとおり捜査官側は当初、この二〇万円の出所は長岡幸子以外のところからではないかとの疑念を持つて、長岡尚〓を追及していたことに照らし、長岡尚〓及び長岡幸子の右各供述部分は容易に信用できないし、長岡幸子が、(長岡尚〓が原審相被告人渋村に渡した二五万円の資金として、長岡幸子から長岡尚〓に渡された二〇万円のほかに)二〇万円を用意できたからといつて、必らずしも不自然であるということはできず、長岡尚〓が、右二〇万円を自動車運転席の日よけの内側に置いていたことも、なるほど一般には予想しにくいことではあるが、ありえないことであるとまではいえず、これらの点をもつて長岡尚〓及び長岡幸子の検察官に対する前記各供述調書の信用性がないものとすることはできない。また、被告人山川の検察官に対する前記供述調書(二)によると、同被告人が長岡尚〓から二〇万円を受け取つたのは、同年六月八日夜、原判示の壱岐第一ホテルで、松田九郎も参加して行なわれた選挙情勢報告などの集会が終了し、皆帰り出した後、同ホテル二階広間においてであつた、というのであり、長岡尚〓の検察官に対する前記の各供述調書によると、同人が被告人山川に二〇万円を渡したのは、前記の集会が終る前に、同ホテル一階ロビーにおいてであつた、というのであつて、両者の供述に食い違いがあるが、前記のとおり、被告人山川は、右二〇万円を受け取つた日を当初は同年六月一二日であると記憶違いをしており、長岡尚〓の供述に基づき供述を改めた経過に照らして、右の点に関しては、長岡尚〓の供述が信用でき、被告人山川の供述は信用できないというべきであるが、右信用できない部分があるからといつて、この部分を除く被告人山川の右各供述調書全体の信用性がないということはできない。以上のとおりいずれも任意性も信用性も認められる被告人山川の検察官に対する昭和五五年七月二二日付((二)、(三)、(四))各供述調書、長岡尚〓の検察官に対する同年七月三〇日付、同年八月一日付(<1>及び<2>)各供述調書及び長岡幸子の検察官に対する同年七月三〇日付供述調書を含む原判決挙示の関係各証拠によると、

1  松田九郎は、昭和五五年六月二二日施行の衆議院議員総選挙に際し、長崎県第二区から立候補したものであり、被告人山川は、同県壱岐郡石田町の町議会議員であつて、かねてから松田九郎が中央政界に出る意向を有することを知つて同人を支持し、同人の後援会組織である「九友会」の石田町支部の支部長をつとめ、かつ、九友会壱岐総支部(壱岐郡内四か町の九友会各支部の連合体)の有力メンバーであつたものであり、長岡尚〓は、同郡郷ノ浦町にある株式会社壱岐第一ホテルの代表取締役のほか、他の会社二社の役員をも兼ね、かねてから同様に松田九郎を支持し、右選挙において、同人のための、前記選挙区内である同郡の選挙連絡事務所を右ホテル内に設けて、その事務長となり、松田九郎のために選挙運動をしたものであること、

2  被告人山川は、前記石田町の町議会議員で前記選挙において松田九郎の選挙運動者であつた被告人齊藤から、右選挙のための資金を都合してもらいたい旨言われていたこともあり、合わせて自己の行なう松田九郎のための選挙運動の費用及びその苦労賃としての資金に当てるため、壱岐郡内における松田九郎の選挙運動につき、すべて連絡に当り、選挙対策の実権者であると考えられていた長岡尚〓に対し、右資金の都合方を依頼しようと考えていたが、同月八日、同郡内の松田九郎の個人演説会が開催され、その終了後、前記壱岐第一ホテル内の選挙連絡事務所で、同人の選挙運動者らが集まつて、選挙情勢などの話合いがあつた際、右集会に参加するため同ホテルに赴き、同日午後一一時ころ、長岡尚〓に会うや、同人に対し、「二つばかりどうかならんか」と話し、これを、松田九郎に当選を得させる目的のもとに同人のため投票取りまとめなどの選挙運動をすることの報酬及び費用として二〇万円を要求されたものと理解した長岡尚〓から、右趣旨のもとに供与されるものであることを知りながら、同ホテル一階ロビーにおいて、現金二〇万円を受け取つて、その供与を受けたこと、

3  被告人山川は、右二〇万円のうちから、後に説示するとおり、被告人齊藤に対し、同年六月一五日ころ及び同月一九日ころの二回に各五万円、計一〇万円を渡し、残りの一〇万円を自己の行なつた選挙運動のガソリン代、食事代等に費消したり、小遣い銭と混合してしまつたりしたこと

が認められ、右各事実によると原判示第二の一の事実を優に肯認することができ、被告人山川関係の原審第二回、原審第一〇回、当審第三回各公判調書中の被告人山川の供述部分、原審第九回、第一一回各公判調書中の長岡尚〓(原審相被告人)の供述部分、右長岡尚〓の原審公判廷における供述、原審第一八回公判調書中の承人長岡幸子の供述部分、原審第一九回公判調書中の証人松田九郎、同〓山正の各供述部分のうち右認定に反する部分はこれらを除くその余の関係各証拠に照らして信用することができない(なお、原審相被告人長岡尚〓関係で実施された原審第二回、第三回各公判調書中の証人山川良彦の供述部分並びに、被告人齊藤及び原審相被告人渋村武敏関係で取り調べられた同証人に対する右尋問調書二通も、右認定に反する部分は信用できない。)もつとも、原判決は、原審第九回公判調書中の原審相被告人長岡尚〓の供述部分をも証拠として挙示しているのであるが、原判示第二の一の事実からすると、原判決も同供述部分中右の信用できない部分は、これを証拠として採用しない趣旨であることが明らかである。原判決には所論のような事実の誤認はなく、論旨は理由がない。

被告人山川関係の控訴趣意第一中原判示第二の二の事実に関する事実誤認の主張並びに被告人齊藤関係の控訴趣意第一点中原判示第四の一の事実に関する事実誤認の主張について

被告人山川関係の所論は、要するに、原判示第二の二の現金五万円は、被告人齊藤が九友会壱岐総支部石田町支部の支部活動にともない立て替えていた立替金の一部を清算したものであつて、その判示のように選挙運動をすることの報酬及び費用として授受されたものではなかつたのであるから、原判決が、いずれも任意性も信用性もない被告人山川の検察官に対する昭和五五年七月二二日付((二)、(三)、(四))供述調書三通及び被告人齊藤の検察官に対する同月二六日付((一)、(二)、(三))供述調書三通を証拠として採用し、その判示第二の二の事実を認定したのは、証拠の価値判断及び取捨選択を誤つて、事実を誤認したものであり、その誤認は判決に影響を及ぼすことが明らかである、というのであり、被告人齊藤関係の所論は、要するに、原判示第四の一の現金五万円は、被告人齊藤が、松田九郎候補の後援会である九友会壱岐総支部石田町支部長の被告人山川から九友会会員としての後援会活動にともない支出した諸費用の一部清算金として交付を受けたものであつて、その判示のように選挙運動をすることの報酬及び費用として授受されたものではなかつたのであるから、原判決が、いずれも任意性も信用性もない被告人山川、同齊藤の検察官に対する右各供述調書を証拠として採用し、その判示第四の一の事実を認定したのは、証拠の取捨選択を誤つて、事実を誤認したものであり、その誤認は判決に影響を及ぼすことが明らかである、というのである。

しかし、被告人山川の検察官に対する昭和五五年七月二二日付((二)、(三)、(四))供述調書三通及び被告人齊藤の検察官に対する同月二六日付((一)、(二)、(三))供述調書三通は、いずれも任意性も信用性もあるものであつて、これらの各調書を含む原判決の挙示する関係各証拠によると、原判示第二の二の事実及び同第四の一の事実を認めるに十分であつて、記録を精査し、当審における事実取調べの結果を検討しても、原判決の右事実の認定に誤りがあるとは考えられない。すなわち、被告人齊藤の検察官に対する前記各供述調書の任意性についてみるに、同被告人関係の所論は、同被告人が逮捕勾留されて取調べを受けた期間中、頸痛症のため頭痛がするのに、ほとんど連日早朝から深夜にわたる取調べを受けたというのであり、被告人山川関係の所論は、捜査官が被告人齊藤の弁解を聞き入れないまま調書を作成したというのであるが、原審第七回、第八回各公判調書中の被告人齊藤の供述部分、同第一二回公判調書中の証人松島道博の供述部分及び同証人に対する原裁判所の尋問調書に現れている被告人齊藤に対する取調べ情況に照らしても、警察段階における取調べが特に早朝から深夜にわたるほどのものであつたことを裏付けるものはなく、頸部や頭部等の痛みについても、勾留中に医師の診療を受けており、検察官の取調べに際しては、頭痛を訴えたことはないのであつて、別段無理な取調べがなされた形跡はうかがえず(この点につき、頭がずきずきして疲れはて、取調べ警察官のいうままに供述し、検察官に対する供述調書も警察での調書を丸写しされて作成されたという原審第七回、第八回各公判調書中の同被告人の供述部分は、いずれもこれを信用することができない。)、被告人齊藤の検察官に対する前記各供述調書の任意性を優に認めることができ、被告人山川の検察官に対する前記各供述調書の任意性を認めることができることは前示(原判示第二の一の事実についての控訴趣意に対する判断)のとおりであり、これらの各供述調書の信用性については、関係証拠により明らかな、被告人齊藤及び被告人山川の各年齢、経歴、社会的地位などに徴し、被告人齊藤が逮捕勾留され、被告人山川が病床にあつて、警察官あるいは検察官から多少追求的な質問を受けたにせよ、右両被告人が、それぞれ自己及び相被告人の社会的信用を落とし、石田町町議会議員としての資格を失わせるに至る事柄につき、殊更に不利になるような虚偽の供述をするとは考えられず、右各供述調書中の原判示第二の二、同第四の一の事実に関する部分はいずれも、右両被告人が、前示の選挙に関し松田九郎の選挙運動をするに至つた経過及び同判示の年月日ころ、場所において、その判示の趣旨で、被告人山川が被告人齊藤に五万円を渡した情況の一部始終を供述しているものであつて、それらの内容は、自己の体験した事実の具体的かつ詳細な供述として、別段不自然、不合理な点も見出されず、相互に基本的な点において一致しており、その信用性を十分に認めることができ(弁解を聞き入れてもらえなかつたからといつて、その際の供述が信用できないとすることはできない。)、以上のとおり任意性も信用性もある被告人山川の検察官に対する昭和五五年七月二二日付((二)、(三)、(四))供述調書三通及び被告人齊藤の検察官に対する同月二六日付((一)、(二)、(三))供述調書三通を含む原判決の挙示する関係各証拠によると、被告人山川及び被告人齊藤は、いずれも、昭和五五年六月二二日施行の衆議院議員総選挙に際し、長崎県第二区から立候補した松田九郎の選挙運動者であるが被告人山川は、同月一五日ころ、原判示の被告人齊藤方において、松田九郎のための投票取りまとめなどの選挙運動をすることの報酬及び費用として、被告人齊藤に対し、五万円を渡して、これを供与し、被告人齊藤は、右供与の趣旨を知つて、その供与を受けたことが認められ、右各事実によると、原判示第二の二の事実、同第四の一の事実を優に肯認することができる。被告人山川及び被告人齊藤関係の原審弁論併合前第二回公判調書中の右両被告人の各供述部分、原審第一〇回並びに当審第三回各公判調書中の被告人山川の供述部分、原審第七回、第八回並びに当審第四回各公判調書中の被告人齊藤の供述部分、同被告人の原審公判廷における供述及び原裁判所の証人山川良彦に対する尋問調書二通(但し、被告人齊藤関係においてのみ)のうちには、所論に沿うかのような部分もあるが、原審第一〇回公判調書中の被告人山川の供述部分のうちには、同被告人は、松田九郎の後援会である九友会本部から各支部助成金として、昭和五五年一月ころ、九友会石田町支部の分八万円かそれより少し高額くらいの金員を受け取つていたところ(なお当審において取り調べられた弁一七号の領収証によると、金額は一〇万円、領収証の日付は昭和五四年八月一一日となつている。)、選挙(昭和五五年の)前になつて、被告人齊藤から、今までの、九友会活動費(講演会会場費、ポスター張りの労務賃など)の未払いを払つてもらわないと、(投票を)頼むに頼めないといわれていたので、六月一五日に、同被告人に対し、右助成金の中から五万円だけ、未払金の一部支払いに当てるために渡したというのであり、被告人齊藤の原審段階での供述では、被告人山川から、九友会の活動費として以前から立て替えた金があると思うので、その一部にしてもらいたいと言つて、五万円を渡されたが、被告人齊藤としては、もらつても、もらわなくてもいい金ではあつたけれども、せつかく(被告人山川が)そう思つてくれるならばもらおうという気持で受け取つたもので、その際被告人山川から、右五万円の使途を指示されたこともなければ、領収書や明細の要求もなかつたというのであつて、それらの供述は互に食い違うだけでなく、いずれも、後援会活動費の支弁としては不自然であるといわなければならず、右両被告人の公判段階における各供述(調書中の供述部分及び証人山川良彦の前記尋問調書を含む)中前記認定に反する部分は、いずれも信用することができない。もつとも、原判決は、原審第一〇回公判調書中の被告人山川の供述部分及び、原審第七回、第八回各公判調書中の被告人齊藤の供述部分をも証拠として挙示しているのであるが、原判示第二の二、第四の一の事実からすると、原判決も、同各供述部分中の右の信用できない部分は、いずれもこれを証拠として採用しない趣旨であることが明らかである。原判決には各所論のような事実の誤認はなく、各論旨はいずれも理由がない。

被告人齊藤関係の控訴趣意第一点中原判示第四の二の事実に関する事実誤認の主張について

所論は、要するに、その判示の現金五万円は、被告人齊藤が、前記九友会壱岐総支部の総支部長である渋村武敏から同会会員としての後援会活動にともない支出した諸費用の一部清算金として交付を受けたものであつて、その判示のように選挙運動の報酬及び費用として授受されたものではなかつたのであるから、原判決が、いずれも信用性のない渋村武敏の検察官に対する昭和五五年七月一六日付、同月二五日付各供述調書及び被告人齊藤の検察官に対する同月二六日付供述調書四通((一)、(二)、(三)、(四))を証拠として採用し、その判示第四の二の事実を認定したのは、証拠の取捨選択を誤つて、事実を誤認したものであり、その誤認は判決に影響を及ぼすことが明らかである、というのである。

しかし、渋村武敏(原審相被告人、以下「渋村」という。)及び被告人齊藤の前記各供述調書は、いずれも、任意性も信用性もあるものであり、これらの各調書を含む原判決の挙示する関係各証拠によると、原判示第四の二の事実を認めるに十分であつて、記録を精査し、当審における事実取調べの結果を検討しても、原判決の右事実の認定に誤りがあるとは考えられない。すなわち、渋村の検察官に対する前記各供述調書の任意性及び信用性をみるに、所論は、渋村が、逮捕勾留されて取調べを受けた期間中、高血圧症などのため目まいがするのに、ほとんど連日早期から深夜にわたる取調べを受けたというのであるが、原審第五回、第六回各公判調書中の渋村の供述部分、同第一六回公判調書中の証人門西栄一の供述部分に現れている渋村に対する取調べ状況に照らしても、警察段階における取調べが特に早朝から深夜にわたるほどのものであつたことを裏付けるものはなく、同人が逮捕された前日、医師から、心筋梗塞の疑いがあるということで投薬を受け、勾留中もその服用をしていたことがあるものの、別段無理な取調べがなされた形跡はうかがえず、渋村の検察官に対する前記各供述調書の任意性を十分に認めることができ、関係証拠により明らかな、渋村の年齢、経歴、社会的地位(当時壱岐郡郷ノ浦町町議会議員)などに徴し、同人が逮捕勾留され、警察官あるいは検察官から多少追及的な質問を受けたにせよ、自己や被告人齊藤の、社会的信用を落とし、町議会議員としての資格を失わせるに至る事柄につき、殊更不利になるような虚偽の供述をするとは考えられず、被告人齊藤の検察官に対する前記各供述調書中同日付(一)、(二)、(三)、の三通の任意性が認められることは、前示(原判示第二の二、第四の一の事実についての控訴趣意に対する判断)のとおりであり、同日付(四)の供述調書の作成された経過は、関係各証拠によると、右(一)、(二)、(三)の三通の供述調書作成の情況と同じ情況のもとに作成されたことが認められるので、右(四)の供述調書の任意性もこれを認めることができ、関係各証拠によつて明らかな被告人齊藤の年齢、経歴、社会的地位などに徴し、被告人齊藤が、逮捕勾留されて、警察官あるいは検察官から多少追及的な質問を受けたにせよ、自己及び渋村の、社会的信用を落とし、町議会議員としての資格を失わせるに至る事柄につき、殊更に不利になるような虚偽の供述をするとは考えられないのであつて、右各供述調書中の原判示第四の二の事実に関する部分は、いずれも、渋村及び被告人齊藤が、前示選挙に関し松田九郎のために選挙運動をするに至つたいきさつ及び右判示の年月日、場所において、その判示の趣旨で、渋村が被告人齊藤に五万円を渡した経過の一部始終を供述しているものであつて、それらの内容は、それぞれ自己の体験した事実の具体的かつ詳細な供述として、別段不自然、不合理な点も見出されず、相互に基本的な点において一致しており、それらの信用性を十分に認めることができ(原審公判調書中の渋村の供述部分には、胸に息苦しさを感じるなど体調に不安があつて、早く釈放されたいと思い、取調べ警察官のいうままに虚偽の供述をし、検察官の取調べの際も、同じ考えから、同じように述べたという趣旨の部分があるが、信用できない。)、以上のとおり任意性も信用性もある渋村の検察官に対する昭和五五年七月一六日付、同月二五日付各供述調書、被告人齊藤の検察官に対する同月二六日付供述調書四通を含む原判決の挙示する関係各証拠によると、被告人齊藤は、昭和五五年六月二二日施行の衆議院議員総選挙に際し、長崎県第二区から立候補した松田九郎の選挙運動者であり、渋村は、郷ノ浦町町議会議員で、前記九友会壱岐総支部の支部長として、右選挙に際し、松田九郎の壱岐郡内における選挙運動の中心的立場にあつたものであること、被告人齊藤は、同月一五日ころ、いとこの斉藤久雄と相談して、同郡勝本町内に居住する選挙人である中原武らに対し、松田九郎への投票依頼の趣旨で、一〇万円を供与することを約束し、その資金手当てを、被告人山川に依頼し、同月一八日ころ、被告人山川より右趣旨を聞いていた渋村から、原判示第四の二の「路上」において、松田九郎に当選を得させる目的のもとに、同人のため投票取りまとめなどの選挙運動をすることの報酬及び費用として供与されるものであることを知りながら、現金五万円を受け取つて、その供与を受けたことを認めることができ、これらの各事実によると、原判示第四の二の事実を優に肯認することができる。被告人齊藤関係の原審弁論併合前第二回、原審第七回、第八回、当審第四回各公判調書中の被告人齊藤の供述部分、同被告人の原審公判廷における供述、被告人渋村関係の原審弁論併合前第二回、原審第四回、第五回、第六回各公判調書中の渋村の被告人としての供述部分及び同人の原審公判廷における供述には所論に沿うかのような部分があるけれども、渋村は、原審第五回公判においては、勝本町内の選挙運動については九友会勝本町支部にまかせていたが、同支部における九友会活動の諸経費について不義理をしていたところ、被告人山川あたりから、同支部幹部の動きがにぶいという話を耳にし、早目に清算する必要があると直感して、同支部を通さずに、被告人齊藤に、その清算をしてもらいたいという趣旨で、五万円を渡した旨供述し、第六回公判においては、被告人齊藤がそれまでに立て替えていた九友会活動費の滞り金の清算として、同被告人に五万円渡した旨供述するのであるが、これらは相互に矛盾し、前者についていえば、勝本町支部関係の活動費の清算を、同支部の役員を差し置いて、石田町支部に属する被告人齊藤にさせるというのは不自然であり、そうであるからこそ、渋村はその不自然さに気づいて、次の公判期日において、後者のように供述を変更させたものと考えられ、被告人齊藤の右供述(調書中の供述部分を含む)では、渋村は同被告人が立て替えていた九友会の活動費の一部の清算金としてくれたものと思うというのであるが、前示のとおり、被告人齊藤は、同月一五日ころ、被告人山川から受け取つた五万円も九友会活動費の清算金である旨弁解し(それが信用できないことは前示のとおりである。)、更にその三日ほど後の同月一八日ころ渋村から、同様の立替金の清算金として五万円を受け取り、しかも、その立て替えた費用の明細ばかりか、その総額をも明らかにしないまま受け取つたというのであつて、立て替え費用の清算としては不自然であるというほかないのであり、渋村及び被告人齊藤の検察官に対する前記各供述調書の内容が、前示のとおり自然であることに比べて、公判段階における前記各供述部分及び供述中前記認定に反する部分は信用できず、また、原審第一〇回公判調書中の被告人山川の供述部分中、被告人齊藤から、票集めのための資金準備を頼まれたこともなく、渋村に対して、被告人齊藤の右依頼を伝えたこともない旨の部分も同様に前記各供述調書に照らして信用できない。もつとも、原判決は、原審第四回、第五回各公判調書中の渋村の供述部分及び原審第七回公判調書中の被告人齊藤の供述部分をも証拠として挙示しているのであるが、原判示第四の二の事実からすると、原判決も同各供述部分中の右の信用できない部分は、いずれもこれを証拠として採用しない趣旨であることが明らかである。原判決には所論のような事実の誤認はなく、論旨は理由がない。

被告人山川関係の控訴趣意第一中原判示第二の三の事実に関する事実誤認の主張並びに被告人齊藤関係の控訴趣意第一点中原判示第四の三の事実に関する事実誤認の主張について

被告人山川関係の所論は、要するに、原判示第二の三の現金供与の事実は全く存在しなかつたのであるから、原判決が、いずれも任意性も信用性もない被告人山川の検察官に対する昭和五五年七月二二日付((二)、(三)、(四))供述調書三通及び被告人齊藤の検察官に対する同月二六日付((一)、(二)、(三))供述調書三通を証拠として採用し、その判示第二の三の事実を認定したのは、証拠の価値判断及び取捨選択を誤つて、事実を誤認したものであり、その誤認は判決に影響を及ぼすことが明らかである、というのであり、被告人齊藤関係の所論は、要するに、原判示第四の三の現金受供与の事実は全く存在しなかつたのであるから、原判決が、いずれも信用性のない被告人山川、同斉藤の検察官に対する右各供述調書を証拠として採用し、その判示第四の三の事実を認定したのは、証拠の取捨選択を誤つて、事実を誤認したものであり、その誤認は判決に影響を及ぼすことが明らかである、というのである。

しかし、被告人山川の検察官に対する昭和五五年七月二二日付((二)、(三)、(四))供述調書三通及び被告人齊藤の検察官に対する同月二六日付((一)、(二)、(三))供述調書三通は、いずれも、任意性も信用性もあるものであり、これらの各調書を含む原判決の挙示する関係各証拠によると、原判示第二の三、第四の三の事実を認めるに十分であつて、記録を精査し、当審における事実取調べの結果を検討しても、原判決の右事実の認定に誤りがあることを疑わせる証拠はない。すなわち、被告人山川及び被告人齊藤の前記各供述調書の任意性が認められることは前示(原判示第二の二、第四の一の事実についての控訴趣意に対する判断)のとおりであり、これらの各調書の信用性について、前示と同様に、右両被告人が、それぞれ、自己及び相被告人にとつて、殊更不利になるような虚偽の供述をするとは考えられず、右各供述調書中の原判示第二の二、第四の三の事実に関する部分は、いずれも右両被告人が、前示選挙に関し、松田九郎の選挙運動をするに至つたいきさつ、被告人齊藤が、そのいとこの斉藤久雄と相談して、壱岐郡勝本町居住の選挙人である中原武らに対し、投票依頼の趣旨で一〇万円を供与することを約束し、その資金の準備を被告人山川に求め、その意を受けた渋村から五万円の供与を受けたものの、なお不足するため再度被告人山川に追加を求め、被告人山川から被告人齊藤に対して五万円が供与されるに至つた経過の一部始終を供述しているものであつて、それらの内容は、それぞれの体験した事実の具体的かつ詳細な供述として別段不自然、不合理な点も見出されず、相互に基本的な点において一致しており、その信用性を十分に認めることができる。被告人齊藤関係の控訴趣意補充書には、被告人山川及び被告人齊藤の検察官に対する前記各供述調書によると、右五万円の供与は、昭和五五年六月一九日午後八時過ぎころ郷ノ浦町所在の前記選挙連絡事務所において、なされたとされているが、被告人齊藤は、同日午後五時過ぎころ帰宅したところ自宅が漏電のため停電したので、電気工事業者の松尾信夫に来てもらつて、同日午後八時過ぎころまでに応急修理を終え、同人と共に同日午後九時過ぎころまで自宅で飲酒していたものであり、被告人山川は、同日午後八時から、石田町池田仲触所在の壱岐酪農組合事務所で開かれた壱岐酪農飼料関係協議会に出席し、同日午後一一時ころ同協議会の終了後に帰宅したものであるから、前記各供述調書に記載されている日時場所において、右両被告人が五万円を授受することは不可能であるとの主張があり、被告人山川関係の弁論要旨にも同旨の主張があるので、これをみるに、まず、当審第四回公判調書中の被告人齊藤の供述部分には、同日午後三時ころから同じ部落の横山建材店の新築祝に行つて、同日午後五時ころ退席して帰宅したところ、停電していたので、電気工事業者の松尾信夫に来て調べてもらい、漏電していることがわかつて、同日午後八時ころ応急処置を終え、その後二時間くらい自宅で同人と共に飲酒したという趣旨の部分があり、当審第二回公判調書中の証人松尾信夫の供述部分にも、これに沿う部分があるけれども、被告人齊藤は、原審においては、昭和五五年六月一九日には、前記の選挙連絡事務所に行つたか否か記憶にない旨述べて(第八回公判期日)はいるが、アリバイについての具体的供述はなく、当審に至つて初めてアリバイの主張をなすに至つたもので、その理由として、当審における前記供述部分で、横山建材店の新築祝に招かれたことの記憶は、検察官の取調べの時にも薄薄あつたが、それが六月一九日であつたことを思い出せずにいたものであり、昭和五九年の二月か三月ころ(当審第一回公判期日は同年三月二二日で、アリバイ関係の証拠調請求があつたのは同月一九日であり、前記控訴趣意補充書の提出は同年七月九日である。)前記齊藤久雄から昭和五五年六月一九日には横山建材店の新築祝の座に同人と共にいたことを聞いて、そのことを思い出し、そのことから、新築祝から帰宅した際自宅が停電していたため、前記松尾信夫に修理のため来てもらつたことを思い出したというのであるが、後記のとおり同被告人は原判示第四の五の事実について、右齊藤久雄に対する一〇万円交付の日を、昭和五五年六月一九日(公訴事実では「同月二〇日ころ」である。)である旨争つていることからすると、同被告人が、同年六月一九日郷ノ浦町所在の選挙連絡事務所に行つたことがないというのであれば、右一九日の自己の行動に関心を持つて、家族なり右齊藤久雄に尋ねて調査するのが自然であり、原審段階で十分その機会があつたものと考えられるのに(原裁判所の証人齊藤久雄に対する尋問は昭和五七年三月二六日に行われた。)、当審に至つて初めてアリバイの主張をするに至つているのであり、前記松尾信夫が、被告人齊藤と同じ部落に居住する知人であつて、同被告人が町議会議員という有力者であることを考えると、被告人齊藤及び証人松尾信夫の当審公判調書中の各供述部分は、同被告人が、昭和五五年六月ころ横山建材店の新築祝に招かれたことや、同年の梅雨期に自宅が停電して、松尾信夫に修理してもらつたという点についてはともかく、自宅停電の日が同年六月一九日のことであつて、同日午後五時ころから同日午後一〇時ころまでの間、自宅に居て、松尾信夫の修理が終つた後、同人と共に飲酒したとの点については、容易に信用できないといわなければならない。つぎに、被告人山川関係のアリバイについてみるに、当審第三回公判調書中の同被告人の供述部分には、同被告人は、昭和五五年六月一九日には、午前一〇時から壱岐郡農業協同組合で開かれた農政連大会に出席し、午前中で右大会が終り、午後、同被告人が代表取締役をしている有限会社池田乳業の事務所や牧場において、事務や搾乳等の仕事をし、夜は午後八時ころから、右牧場近くの事務所で開かれた壱岐酪農飼料関係協議会に、壱岐郡農業協同組合の理事として出席し、同日午後一一時ころ帰宅した旨の部分があり、証人丸尾清太郎の当審公判廷における供述にも、同日午前中の農政連大会及び夜の酪農飼料関係協議会に、被告人山川が出席していた旨、所論に沿う部分があるけれども、同証人の右供述部分には、被告人山川は、同日午後一時から午後四時ころまで、石田町池田東公民館で開かれた石田町酪農組合総会に出席していたという部分があつて、同被告人の同日午後の行動について、同被告人の前記供述部分と食い違つていること、被告人山川は、原審段階ではアリバイに関する主張をしたことはなく(被告人齊藤関係で取調べられた原裁判所の証人山川良彦に対する昭和五五年一一月六日付尋問調書中には、同証人は、同年六月一九日ころ、選挙事務所に立ち寄つた記憶があり、斉藤半五郎もそこにいたが、五万円の授受はなかつたという趣旨の部分がある。)、当審に至つて初めてこれを述べているものであり、その理由として、当審公判調書中の同被告人の右供述部分によると、同被告人は、自己の行動予定を議員手帳に記入していたが、福岡市内の病院に入院中に警察官から取調べを受け、その当時右手帳を自宅に置いていたため見ることができず、同年六月一九日の行動を思い出せずにいたところ、最近になつて昭和五五年度の議員手帳を見付け出し、その記載を見て当日の行動を思い出したというのであるが、右議員手帳(弁一六号)の記載を見ると、なるほど六月予定欄という頁の一九日の欄に、「農政連大会午前10時」という記載があり、同二〇日の欄に「壱岐酪農飼料関係協議会」と記載され、その欄から矢印を一九日の欄に向けて付し、二〇日の欄から一九日の欄にかかる線を引いて「午后8時」と記載されていることが認められるけれども、同被告人が六月一九日における五万円授受の記憶がなく、この点に関する入院中の警察官の取調べに納得がゆかないのであれば、検察官の取調べを受けるまでに日数もあつたのであり、病院から家族に電話なりで問い合わせることもできたであろうし、また、いかに同被告人が多忙であつたにしても、右手帳を見付け出す気さえあれば、原審段階において容易に見付けることができたものと考えられること、丸尾清太郎は、酪農業者であつて、被告人山川の同業者であり、被告人山川は、町議会議員や壱岐郡農業協同組合の理事にもなつている有力者であることを考えると、証人丸尾清太郎の前記供述及び被告人山川の前記供述部分のうち、同証人の供述する各会合が昭和五五年六月一九日に開かれたという事実についてはともかく、被告人山川が同日午後八時からの前記協議会に出席したとする部分は、容易に信用することができず、仮に同被告人が右協議会に出席したとしても、同被告人の右供述部分によると、郷ノ浦町所在の前記選挙連絡事務所から右協議会の会場までは、自動車で約一五分位の距離であるというのであるから、同日午後八時ころ、右選挙連絡事務所で五万円を被告人齊藤に渡して、自動車で出発すれば、右協議会に出席することは可能であり、さらに原判示第二の三、同第四の三の日時の認定は、「同月一九日ころ」となつており(公訴事実の訴因も同様である)、被告人山川及び被告人齊藤の検察官に対する前記各供述調書の内容も、五万円授受の日時についてはいずれも同年六月一九日ころとなつているのであるから、右両被告人のアリバイに関する主張はいずれも採用することができず、右両被告人の検察官に対する前記各供述調書の信用性を認めるのに何ら支障はない。以上のとおり任意性も信用性もある右両被告人の検察官に対する前記各供述調書を含む原判決挙示の関係各証拠によると

1  前期のとおり、松田九郎は、昭和五五年六月二二日施行の衆議院議員総選挙に際し、長崎県第二区から立候補したものであり、被告人山川及び被告人齊藤は、いずれも石田町の町議会議員であつて、かねてから松田九郎を支持し、右選挙に際して、松田九郎のために選挙運動をしていたものであること、

2  被告人齊藤は、いとこの斉藤久雄と相談のうえ、同年六月一五日、右久雄の取引先で勝本町居住の選挙人である中原武らに対し、松田九郎のため投票取りまとめの謝礼などの趣旨で一〇万円を供与することを約束し、その資金を選挙対策本部の方から出してもらうことを考え、被告人山川にその旨頼み、同被告人からその話を聞いた渋村から、同月一八日ころ封筒入りの五万円の供与を受けた(原判示第四の二)が、帰宅後確認したところ五万円しかなかったため、その翌朝、被告人山川に電話をかけ「渋村さんからもらつただけではどうにもできん。ふとかとが(大きいのが)入つていると思つていたのに片手しかなかつたので何とかならんか。」と重ねて資金の準備方を頼み、被告人山川は「よか、今日言つて見てやるけん、事務所で今日会おう。」と答え、その頼みを了承したこと、

3  被告人山川は、右のとおり被告人齊藤の頼みをきくとにしたものの、渋村に対して再度頼みづらく、長岡尚〓から受け取つていた金(原判示第二の一)の残りがあつたので、それを当てることにし、その中から五万円を白の二重封筒に入れて、同月一九日ころの午後六時か七時ころ、郷ノ浦町所在の原判示第二の三の松田九郎選挙連絡事務所に出向き、同日午後八時ころ同事務所に来ていた被告人齊藤に対し、松田九郎のため投票取りまとめなどの選挙運動をすることの報酬及び費用として、右のとおりの封筒入りの五万円を手渡して、これを供与し、被告人齊藤は、これを被告人山川から渡されて供与を受け、帰途、道路端で封を切つて内容を調べ、封筒を、昭和橋の上から海に投棄したこと

が認められ、これらの各事実によると原判示第二の三の事実、第四の三の事実を優に肯認することができる。被告人山川及び被告人齊藤関係の原審弁論併合前の第二回公判調書中の右両被告人の各供述部分、原審第一〇回並びに当審第三回各公判調書中の被告人山川の供述部分、原審第七回、第八回並びに当審第四回各公判調書中の被告人齊藤の供述部分、同被告人の原審公判廷における供述、当審第二回公判調書中の証人松尾信夫の供述部分、証人丸尾清太郎の当審公判廷における供述及び原裁判所の証人山川良彦に対する尋問調書二通(但し、被告人齊藤に関してのみ)のうち、右認定に反する部分は、これらを除くその余の関係各証拠に照らして信用することができない。もつとも原判決は、原審第一〇回公判調書中の被告人山川の供述部分及び同第七回、第八回各公判調書中の被告人齊藤の供述部分をも証拠として挙示しているのであるが、原判示第二の三、第四の三の事実からすると、原判決も、同各供述部分中右の信用できない部分は、これを証拠として採用しない趣旨であることが明らかである。原判決には各所論のような事実の誤認はなく、各論旨はいずれも理由がない。

被告人齊藤関係の控訴趣意第一点中原判示第四の四、五の各事実に関する事実誤認の主張について

所論は、要するに、原判示第四の四の現金一〇万円は、船具店を営む齊藤久雄が、その取引先である船主等の団体に対し販路維持拡大のための寄付金として渡したものであつて、その判示のような共謀及び趣旨のもとに供与したものではなく、また、原判示第四の五の現金一〇万円交付の日は、昭和五五年六月一九日であつて、その判示のように同月二〇日ころではなく、しかも、同現金は、貸借金であつて、その判示のような趣旨のものではなかつたのであるから、原判決が、いずれも信用性のない被告人齊藤の検察官に対する昭和五五年七月二六日付((一)、(四)の二通)、同月一五日付、同月二二日付各供述調書、斉藤久雄の検察官に対する各供述調書謄本及び中原武の検察官に対する各供述調書謄本を証拠として採用し、その判示第四の四、五の各事実を認定したのは、証拠の取捨選択を誤つて、事実を誤認したものであり、その誤認は判決に影響を及ぼすことが明らかである、というのである。

しかし、被告人齊藤の検察官に対する昭和五五年七月二六日付((一)、(四)の二通)、同月一五日付、同月二二日付各供述調書、斉藤久雄の検察官に対する各供述調書謄本及び中原武の検察官に対する各供述調書謄本は、いずれも、任意性も信用性も認められ、これらを含む原判決の挙示する関係各証拠によると、原判示第四の四、五の各事実を認めるに十分であつて、記録を精査し、当審における事実取調べの結果を検討しても、原判決の右各事実の認定に誤りがあるとは考えられない。すなわち、所論指摘の各供述調書の任意性及び信用性についてみるに、所論は、被告人齊藤、斉藤久雄、中原武が、逮捕勾留されたうえ、殆んど連日早朝から深夜にわたる取調べを受け、特に被告人齊藤は、頸痛症のため頭痛がし、斉藤久雄は、肉体の一部に等しい義足をはずされるなど、それぞれ肉体的苦痛を伴う取調べのもとに、前記各供述調書が作成されているのであつて、自由な雰囲気のもとになされた原審公判廷における同人らの供述に比してその供述には信用性がないというのであるが、まず、中原武の検察官に対する各供述調書謄本については、同人が無理な取調べを受けたことをうかがわせる証跡はなく、関係証拠により明らかな同人の年齢、経歴、社会的地位などに徴すると、同人がいかに逮捕勾留されて相当の期間取調べを受けたにせよ、自己の社会的信用を失うに至らせる事柄につき、殊更自身の不利益になるような虚偽の供述をするとは考えられず(この点につき、警察では、無理なことばかり言われて、早く出たいばかりに警察官や検察官の誘導するままに供述したという原審第一四回公判調書中の証人中原武の供述部分はこれを裏付けるような情況も見受けられず、信用することができない。)、同人の右各供述調書謄本は、同人が仲間の三名と共に、原判示第四の四の一〇万円の供与を受けた趣旨を含め、その一部始終を供述しているものであつて、その内容は、自己の体験した事実の具体的かつ詳細な供述として別段不自然不合理な点も見出せず、その任意性及び信用性を十分に認めることができ、斉藤久雄の検察官に対する各供述調書謄本については、原裁判所の証人斉藤久雄に対する尋問調書に現れている同人の取調べ状況に照らしても、取調官が殊更所論のような同人の身体情況などに乗じて無理な取調べをした形跡まではうかがえず、関係証拠により明らかな同人の年齢、経歴、社会的地位などに徴し、同人が、いかに逮捕勾留されて相当期間取調べを受け、その際多少肉体的に不自由な情況下におかれたにせよ、そのために自己及びいとこの被告人齊藤や、取引先の中原武の社会的信用を落とし、殊に被告人齊藤の町議会議員としての資格を失わせるに至る事柄につき、殊更自己及び被告人齊藤や右中原らの不利になるような虚偽の供述をするとは考えられず(この点につき、証人齊藤久雄に対する原裁判所の尋問調書中、同人が留置場内で、右大腿部にはめている義足をはずされて、座つているのが困難となり、また、度の強い眼鏡をはずされて頭痛がしたので一日も早く取調べを終らせたくて、取調官の言うままに虚偽の供述をしたという部分は、これを裏付けるような情況も見られず信用できない。)、斉藤久雄の検察官に対する各供述調書謄本は、同人が、中原武らに対する一〇万円供与の趣旨、被告人齊藤との共謀の情況、同被告人から一〇万円の交付を受けた趣旨及びその年月日を含め、その一部始終を供述しているものであつて、その内容は、自己の体験した事実の具体的かつ詳細な供述として別段不自然、不合理な点も見出せず、その任意性及び信用性を肯認するに十分であり、被告人齊藤の検察官に対する前記各供述調書については、昭和五五年七月二六日付各供述調書の任意性を認めることのできることは前示(原判示第四の二の事実についての控訴趣意に対する判断)のとおりであり、同月一五日付、同月二二日付各供述調書の作成された情況も、関係各証拠によると、同月二六日付の供述調書作成の情況と同様の情況のもとに作成されたことが認められるので、同月一五日付、同月二二日付各供述調書の任意性も同様にこれを認めることができ、関係証拠により明らかな被告人齊藤の年齢、経歴、社会的地位などに徴し、同被告人が、逮捕勾留され、相当期間取調官から多少追及的な質問を受けたにせよ、そのため、いとこの齊藤久雄や自己の社会的信用を落とし、自己の町議会議員としての資格を失わせるに至る事柄につき、殊更、自己や齊藤久雄の不利になるような虚偽の供述をするとは考えられず(この点につき、頭がずきずきして疲れ果て、警察官の言われるままに供述し、検察官に対する供述調書も、警察での調書を丸写しされて作成された旨述べる原審第七回、第八回各公判調書中の被告人齊藤の供述部分は、これを信用することができない。)、被告人齊藤の検察官に対する前記各供述調書中、原判示第四の四、五の各事実に関する部分は、同被告人が、斉藤久雄とその判示のような共謀をした情況、同人に対し一〇万円を交付した趣旨及びその年月日を含め、その一部始終を供述しているものであつて、その内容は自己の体験した事実の具体的かつ詳細な供述として別段不自然、不合理な点も見出せず(同被告人の検察官に対する同月一五日付供述調書中、同被告人が、昭和五五年六月一五日の昼過ぎ、中原武方に行こうと思つていたところ、被告人山川が来訪し、被告人山川が帰つた後に中原武方に行つたという趣旨の部分は、被告人齊藤の検察官に対する同年七月二六日付供述調書(四)によつて、同被告人が同年六月一五日中原武方に行つたのは、その日の午前一一時ころであり、その帰宅後に被告人山川が来訪した旨訂正されており、訂正された供述の方が他の関係証拠とも合致していることに照らして信用することができず、右の信用できない部分を除く。)中原武及び齊藤久雄の検察官に対する前記各供述調書謄本の内容とも、基本的な点において一致しており、その信用性を十分に認めることができる。そして、以上のように任意性も信用性も認められる中原武、斉藤久雄、被告人齊藤の検察官に対する前記各供述調書(またはその謄本)を含む原判決の挙示する関係各証拠によると

1  前記のとおり、松田九郎は、昭和五五年六月二二日施行の衆議院議員総選挙に際し、長崎県第二区から立候補したものであり、被告人齊藤は、石田町の町議会議員であつて、かねてから松田九郎を支持し、右選挙に際して松田九郎のために選挙運動をしていたものであること

2  齊藤久雄は、石田町に居住し、船具等の販売を営んでいるもので、被告人齊藤とはいとこの間柄にあり、同被告人から誘われて、前記選挙において松田九郎のために選挙運動をしていたものであり、中原武、吉田清、山口治義、立石和利(以下これら四名を「中原武ほか三名」という。)は、いずれも壱岐郡勝本町内に居住して漁業を営み、漁師仲間で作つている正村船団に所属し、右選挙に際して、長崎県第二区の選挙人であつたこと、

3  齊藤久雄は、同月一〇日ころ、被告人齊藤と共に、郷ノ浦町所在の松田九郎の選挙連絡事務所に立ち寄つた際、同事務所内で、前回の選挙において松田九郎の勝本町における得票が少なかつたことが話題になつていたこともあつて、同町における松田九郎の得票を伸ばすため、取引先として親しくしていた前記中原武に、松田九郎のため投票並びに投票取りまとめを依頼しようと考え、被告人齊藤と相談をしその賛成を得て、同被告人と共に中原武方に赴き、同人方に集つた中原武ほか三名に対し、松田九郎に対する支持を訴えたところ、中原武から、前記正村船団には、船が二十五、六隻所属しているので五〇票はあるとか、前回の選挙のときには、一票三〇〇〇円もらつた者がいるとかなどの話を持ち出され、松田九郎のため投票並びに投票取りまとめなどの選挙運動をすることの報酬等として金銭の供与方をほのめかされたこと、

4  そこで、被告人齊藤及び齊藤久雄は、勝本町における松田九郎の得票を伸ばすためには中原武ほか三名に対しある程度の金銭を供与することもやむえないと考え、同月一五日午前中、まず齊藤久雄が中原武方を訪れ、中原武ほか三名に対し、同月二〇日ころまでに、前記の趣旨で一〇万円を供与することを約束し、遅れて中原武方に着いた被告人齊藤も、右約束の成立したことを了承したこと、

5  そして、被告人齊藤と齊藤久雄は、右買収資金一〇万円を被告人齊藤の方で、選挙対策本部の方から調達することにし、もしそれができないときは、二人で半額あて負担する旨話し合つていたが、斉藤久雄は、同月一九日ころになつても被告人齊藤から連絡がなかつたことから、同月二〇日の約束を違えることになると、松田九郎に対する中原武ほか三名の支持を得られなくなるおそれがあると考え、自己において立て替えて渡すことにし、被告人齊藤に知らせることなく、現金一〇万円を用意して、原判示第四の四のとおり、中原武ほか三名に対し、前記趣旨のもとに右一〇万円を手渡して供与したこと、

6  被告人齊藤は、斉藤久雄に対し、中原武ほか三名に供与すべき一〇万円を、約束の同月二〇日までには準備して交付しなければならないと考えていたが、同月一九日、自己の長男の嫁で、自己が代表取締役をしている有限会社齊藤水産の経理を担当する齊藤京子から、右会社の金員五万円を仮払いの形で借り受けるなどして用意した一〇万円を、同月二〇日正午ころ、齊藤久雄方を訪れて、同人に対し、中原武ほか三名に対する投票並びに投票取まとめなどの選挙運動をすることの報酬等として供与すべきものとして、交付したこと

が認められ、原審第七回、第八回、弁論併合前の被告人齊藤関係の第二回各公判調書及び当審第四回公判調書中の被告人齊藤の供述部分、被告人齊藤の原審公判廷における供述には、被告人齊藤は、同年六月一五日には中原武方に行つておらず、齊藤久雄と原判示第四の四のような共謀をしたことはなく、また、同人に対して貸金として一〇万円を同月一九日に貸し渡したことがあるが、同月二〇日ころ買収資金として一〇万円交付したことはないなど所論に沿う内容の部分があるが、証人齊藤久雄に対する原裁判所の尋問調書によると、同人が、被告人齊藤から一〇万円を受け取つたのは、同月二〇日である旨供述しており、この点は、齊藤久雄の検察官に対する各供述調書謄本、被告人齊藤の検察官に対する前記各供述調書の内容とも一致しており、齊藤久雄の検察官に対する各供述調書謄本によると、齊藤久雄が同月一九日ころ中原武らに対して一〇万円を供与した事実を被告人齊藤に知らせなかつたのは、もし右事実を話せば、同被告人から負担部分の五万円しか渡してもらえなくなるかも知れないことを心配したからであるというのであり、右供述は極めて自然であつて、その信用性は高いということができるから、被告人齊藤が齊藤久雄に対し一〇万円を交付した日は、同月二〇日ころの、早くとも、齊藤久雄が中原武ほか三名に対し一〇万円を渡した時より後であることが明らかであり、被告人齊藤が、同月一五日中原武方に行つたことがないとの点については、原審第一四回公判調書中の証人中原武の供述部分及び同人の検察官に対する各供述調書謄本によつて明らかな、同日中原武外三名が被告人齊藤及び齊藤久雄各運転の自動車に分乗して、中原武方から勝本町湯本にある壱岐島荘まで送つてもらつた事実に照らし、信用することができず(証人坂口庄五郎に対する原裁判所の尋問調書中、右認定に反する部分は信用できない。)、齊藤久雄に対する原裁判所の尋問調書中には、同人が同月一五日中原武方を訪れたのは、船具等の営業活動のためであつて、同人方で選挙の話はしていないという部分があるが、志岐深雪の検察官に対する供述調書(原判決は証拠として挙示していない。)によると、同月一五日昼食時ころ、同人方に被告人齊藤と齊藤久雄がいたとき、中原武から齊藤久雄に電話がかかり、「壱岐島荘に来て松田の話をしないか」ということであつたので齊藤久雄が壱岐島荘に行くと言つて出かけ、三〇分くらいして戻つて来た事実が認められることに照らし、同月一五日における同人と中原武らとの合会に選挙の話が出なかつたというのは不自然であつて信用することができず、また、同尋問調書中の、齊藤久雄が中原武外三名に供与した一〇万円は、同年三月ころ中原武から、同人が新造船した際、船具漁具等を相当額購入してもらつたので、齊藤久雄としては、中原武に新造船のお祝いをしなければならないのがのびのびになつていたところ、中原武が正村船団に入団したことから、同船団に対する寄付金として、中原武外三名に交付したものであるという部分は、それに照応する経理の処理がなされていることをうかがわせる証拠は見当らず、同尋問調書によると、齊藤久雄は一〇万円を中原武らに渡した翌日営業資金に不足するとして、被告人齊藤から一〇万円を借り受けた(先に認定したとおり、原判示第四の五の買収資金としての交付金である。)というのであるが、もしそうであるなら、そのような営業資金の余裕のない時期に、あえて時期遅れの寄付をしなければならない理由の説明が困難であり、不自然であつて信用することができず、これに沿う原審第一四回公判調書中の証人中原武の供述部分も信用できず、被告人齊藤の原審並びに当審公判調書中の前記の各供述部分並びに原審公判廷における供述、証人齊藤久雄に対する原裁判所の尋問調書及び原審第一四回公判調書中の証人中原武の供述部分のうち、前記の認定に反する部分は、これを除く関係各証拠に照らして信用することができない。そして、前記認定の各事実によると、原判示第四の四、五の各事実を優に肯認することができる。もつとも、原判決は、原審第七回公判調書中の被告人齊藤の供述部分、原裁判所の証人齊藤久雄に対する尋問調書及び原審第一四回公判調書中の証人中原武の供述部分をも証拠として挙示しているが、原判示第四の四、五の各事実からすると、原判決も同供述部分又は調書中の右の信用できない部分は、いずれもこれを証拠として採用しない趣旨であることが明らかである。原判決には所論のような事実の誤認はなく、論旨は理由がない。

被告人山川の控訴趣意第一中原判示第二の四の事実に関する事実誤認の主張について

所論は、要するに、原判示第二の四の現金一〇万円は、田川繁に対する単なる貸付金にすぎないものであつて、その判示のような趣旨のものではなかつたのであるから、原判決が、いずれも信用性のない被告人山川の検察官に対する昭和五八年五月一一日付、同月一二日付各供述調書及び田川繁の検察官に対する各供述調書謄本を証拠として採用し、その判示第二の四の事実を認定したのは、証拠の価値判断及び取捨選択を誤つて、事実を誤認したものであり、その誤認は判決に影響を及ぼすことが明らかである、というのである。

しかし、田川繁の検察官に対する各供述調書謄本及び被告人山川の検察官に対する昭和五八年五月一一日付、同月一二日付各供述調書はいずれも信用できるものであつて、右各供述調書及び同謄本を含む原判決の挙示する関係各証拠によると、原判示第二の四の事実を認めるに十分であつて、記録を精査し、当審における事実取調べの結果を検討しても、原判決の右事実の認定に誤りがあるとは考えられない。すなわち、田川繁の検察官に対する各供述調書謄本は、いずれも、原判示第二の四の事実に沿う内容のものであるところ、証人田川繁の原審公判廷における供述によると、被告人山川は同証人のふたいとこに当り、同証人が営業部長として勤務している壱岐商船株式会社の代表取締役をしていること、同証人は、検察官による取調べにおいて、脅されたり乱暴されたりしたことはなく、同証人の言わないことを調書に取られたことはないことが認められ、右各事実からすると、田川繁が自己はもとより、自己の親族でもあり、かつ、上司でもある被告人山川の社会的信用を落とし、同被告人の、当選したばかりの石田町町議会議員の資格を失わせるに至る事柄について、殊更自己や被告人山川の不利になるような虚偽の供述をしたとは考えられず(証人田川繁の原審公判廷における供述中には、警察での取調べでは、机を叩かれたり、がたがた揺すられて、早く言いなさい、言えば楽になると言われ、本件一〇万円は借金であるとの弁解を聞いてもらえず、検察庁においても、そのまま言わないと長く置いておかれると思つて、警察で述べたことと同じことを述べた旨の部分があるが、同証人が警察での取調べに際し、警察官から机を叩かれたり、がたがた揺すられたりした点については、これを裏付ける証拠はなく、取調べの警察官から多少追及的な取調べを受け、弁解を聞き入れてもらえなかつたからといつて、これをもつて直ちにその供述の信用性を否定しなければならないものではない。)、田川繁の検察官に対する前記各供述調書謄本の内容は、具体的かつ詳細であり、自己の体験した事実を記憶に従つて述べたものとして、別段不自然、不合理な点も見出せず、その供述の結果、被告人山川を裏切ることになつて、前記壱岐商船株式会社を退職しなければならないかも知れないことを覚悟しての供述であることを述べるなど(昭和五八年五月一日付及び同月九日付各供述調書謄本)真情を吐露しての供述であることが認められ、その信用性を優に肯認することができる。また、被告人山川の検察官に対する前記各供述調書は、その内容が具体的、かつ詳細であり、自己の体験した事実を記憶に従つて述べたものとして別段不自然、不合理な点も見出せず、しかも前記のとおり信用性のある田川繁の検察官に対する前記各供述調書謄本の内容とも基本的な点において合致しており、同被告人の検察官に対する昭和五五年五月五日付供述調書における所論に沿う内容の供述を変更して、田川繁の前記供述内容に沿う供述をするに至つた事情に関する供述の内容も自然であつて、人を納得させるものがあり、その信用性を認めるに十分である。そして、右のとおりいずれも信用性のある田川繁の検察官に対する各供述調書謄本及び被告人山川の検察官に対する昭和五八年五月一一日付、同月一二日付各供述調書を含む原判決の挙示する関係各証拠によると、

1  被告人山川は、有限会社池田乳業及び壱岐商船株式会社の代表者であるとともに、昭和五四年施行の長崎県壱岐郡石田町の町議会議員選挙に当選し、以来同町議会議員であつたものであるが、昭和五七年一一月ころには、昭和五八年施行予定の任期満了による同町議会議員選挙に、再び立候補の決意を固め、昭和五八年四月二四日に投票が実施されることになつた同選挙に同月一七日立候補の届出をし、同選挙に当選して同町議会議員の職にあること、

2  田川繁は、右石田町に居住し、昭和五八年施行の前記選挙の選挙人であつたものであるところ、前示のとおり、被告人山川とはふたいとこの関係にあつて、同被告人が代表取締役である壱岐商船株式会社の営業部長として、同会社に勤務しているものであること、

3  被告人山川は、前記のとおり昭和五八年施行の前記選挙に立候補の決意を有していたものであるが、まだ立候補の届出をしない同年四月四日ころ、原判示第四の四の田川繁方を訪ね、在宅していた田川繁に対し、同人または同人の妻が、右選挙において、自己に投票し、あるいはその知人らに対し、自己のために票集めをすることへの謝礼もしくはそのための交通費などの費用に当ててもらいたいとの趣旨で現金一〇万円を手渡したこと、

4  田川繁は、後に右一〇万円の中から、右選挙の選挙人であつた和田清に対し二万円を、同岩永勲に対し二万円を、同田中馨に対し三万円を、それぞれ、被告人山川に対する投票の報酬等の趣旨のもとに供与したこと

が認められ、右各事実によると原判示第二の四の事実を肯認するに十分である。被告人山川及び証人田川繁の原審公判廷における各供述、当審第三回公判調書中の被告人山川の供述部分及び被告人山川の検察官に対する昭和五八年五月五日付供述調書中、右認定に反する部分は、これらを除くその余の関係各証拠に照らして信用することができない(証人田川繁の原審公判廷における供述中には、同証人は、前記和田清から、同年三月二七日ころ一〇万円の借用方の申込を受け、所持金がなかつたため、同年四月二日ころ、被告人山川に一〇万円の借用方を依頼し、同月四日ころ、同被告人から一〇万円を借り受けたという趣旨の部分があるが、右部分は、同証人の右供述中の、和田清に対して、同月八日ころ四万円を貸し付け、その後自己の「内緒金」から四万円を戻して、前記のとおり、その中から和田清、岩永勲、田中馨に対し合計七万円を供与した旨述べていることに照らし、不自然であつて信用できない。)。もつとも、原判決は、被告人山川の原審公判廷における供述及び証人田川繁の原審公判廷における供述をも証拠として挙示しているが、原判示第二の四の事実からすると、原判決も、同各供述中の右の信用できない部分は、いずれもこれを証拠として採用しない趣旨であることが明らかである。原判決には所論のような事実の誤認はなく、論旨は理由がない。

被告人齊藤の控訴趣意第二点の法令適用の誤りの主張について

所論は、要するに、原判示第四の五の現金一〇万円交付の日時は、前記のとおり、昭和五五年六月一九日で、しかも、同判示第四の四の日時の前であり、従つて、右の交付の点は、同判示第四の四の共謀供与罪に吸収されて、別罪を構成するものではなく、このことは、仮に右交付の日が、同判示第四の五のとおり、同月二〇日ころであつたとしても、法の権衡上、全く同様であるから、原判決が、右の交付罪の成立を認めて公職選挙法二二一条一項五号、一号を適用したのは、法令の適用を誤つたものであつて、その誤りは判決に影響を及ぼすことが明らかである、というのである。

しかし、前示(原判示第四の四、五の各事実に関する事実誤認の主張に対する判断)のとおり、被告人齊藤が、齊藤久雄に対して、現金一〇万円を交付したのは、昭和五五年六月二〇日ころの、右齊藤久雄が原判示第四の四の中原武らに対して現金一〇万円を供与した後であることが明らかであるから、右現金一〇万円の齊藤久雄に対する交付が同月一九日であつて、右判示第四の四の供与日時の前であることを前提とする所論の前段は、すでにその前提において失当である。そして、投票買収の共謀に基づいて、共謀者の一人が、自己の所持金をもつて供与を実行した後に、他の共謀者が、供与の実行者に対し、供与額相当の現金を交付する場合は、交付金と供与金との間に同一性がなく、また交付が供与の準備的行為でもないのであるから、供与の目的であらかじめ共謀者間に金員の交付がなされ、受交付者がその受交付金を受供与者に供与した場合とは事情を異にし、後になされた交付の罪は、その前になされた供与の罪に吸収されないものと解するのが相当であり、右のように事情を異にするのであるから、後者の場合に、前になされた交付の罪が後になされた供与の罪に吸収されるからといつて、法の権衡を害するものではない。従つて、原判決が、その判示第四の五のとおり交付罪の成立を認めて公職選挙法二二一条一項五号、一号を適用したことは正当であつて、原判決には所論のような法令の適用の誤りはない。論旨は理由がない。

被告人山川関係の控訴趣意第二の量刑不当の主張について

所論は、要するに、被告人山川に対する原判決の刑の量定は重きに失して不当である、というのである。

しかし、記録を精査し、かつ、当審における事実取調べの結果をも検討し、これらに現れている被告人山川の本件各犯行の動機、態様及び罪質並びに同被告人の年齢、性格、経歴、境遇及び右各犯行後における態度など量刑の資料となるべき諸般の情状、殊に、被告人山川関係の本件は、長崎県壱岐郡石田町の町議会議員であつた同被告人が、昭和五五年六月二二日に施行された衆議院議員総選挙に際し、同県第二区から立候補した松田九郎のための選挙運動に従事しているうち、原判示第二の一のとおり、同じ選挙運動者であつた原審相被告人長岡尚〓から、現金二〇万円の供与を受けて、買収され、同判示第二の二、三のとおり、同じ選挙運動者であつた被告人齊藤に対し、二回にわたり、各現金五万円を供与して、それぞれ買収したばかりでなく、昭和五八年四月二四日に施行された右石田町の町議会議員選挙に際しても、同判示第二の四のとおり、同選挙に立候補することを決意していた自己の当選を得る目的で、選挙人田川繁に対し、現金一〇万円を供与して、買収するとともに、立候補届出前の選挙運動をしたという事案であつて、この種事犯、特に買収事犯が選挙の公正を著しく害するものであることに徴すると、被告人山川の本件刑事責任を軽視することはできないものといわなければならず、所論(同被告人関係の控訴趣意補充書第二)が指摘する同被告人に有利な事情を十分に参酌し、被告人齊藤及びその余の原審相被告人らに対する各刑との均衡を考慮しても、同被告人に対する原判決の刑の量定は、その刑執行猶予期間の点を含め、まことに相当であつて、これが重きに失して不当であるとは考えられない(選挙犯罪についての刑の執行猶予期間を裁定するにあたつては、選挙権及び被選挙権の停止の要否をも斟酌しなければならないものであるところ、同被告人関係の本件は、被買収、買収事犯が主たるものであつて、選挙犯罪の中でも最も悪質なもののひとつであるばかりでなく、原則として科せられるべき五年間の右の停止期間を特に短縮しなければならないような事情も認められないから、同被告人に対し選挙権及び被選挙権の停止期間を五年間とすることになることが長過ぎるとは考えられない。)。論旨は理由がない。

それで、刑事訴訟法三九六条により、本件各控訴をいずれも棄却し、同法一八一条一項本文に従い、当審における訴訟費用中、証人松尾信夫に支給した分は被告人齊藤に、証人和田清に支給した分は被告人山川にそれぞれ負担させ、証人丸尾清太郎に支給した分はその二分の一ずつを各被告人に負担させることとして、主文のとおり判決する。

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